河梁の詩
きざはし:一
それがいつの事だったのか、正直わからない。
何年、何年前、何歳の時。
そういう『数字』で示すことはできない。
けれど、確かにその日はあった。
夢でも幻でもなく、俺達が居る場所――この現実にあった。
人生何度目かの冬。そのある一日。
手を伸ばし障子戸を引くと、庭一面を埋め尽くす雪が目に入った。
視線をずらしたその先には、雪を被った椿がある。
雪の合間から覗く紅は、今まで見たこともないような色だった。
その鮮やかさに惹かれたからだろうか、気付けば俺は部屋を抜け出し
雪積る庭へと降り立っていた。
自分の足よりひとまわり大きな雪駄で、慎重に歩を進める。
一歩、また一歩。
静かな庭に、雪を踏む音だけが妙に響く。
――ああ、そういえばここはいつだって静かだ。
いつもと何も変わらない。
静かな庭、静かな家、静かな時間。
違うのは、きっと
「……これだけ」
見上げれば、もうすぐそこ、目と鼻の先にその紅があった。
五色八重散椿。
その名の通り、一本の木に五色の異なる色の花をつける。
しかし見る限り、目の前のそれには紅い花しかないようだった。
「……珍しい、のかな」
椿について然程詳しくもない俺にとって、果たしてそれが
一般的に考えて珍しい事なのかどうかわからない。
ただ自分が覚えている限りでは、この木は毎年
異なる色の花を咲かせていたように思う。
もっとも、毎冬毎日この椿を見ていたわけでもないのだから
どれほど考えても答えなど出るはずもない。
けれど何故だろう、その椿の姿に違和感のような
ある種の――非日常とでも言うのか――
「いつもと違う感覚」を感じずにはいられなかった。