河梁の詩

いつかの記憶:二



「それで、キミは一体何をしていたんだ?」
「何って、雨と戯れていたのよ」
全身びしょ濡れの彼女は、玄関に立ったままそう答えた。
彼女ほどではないが、それなりに水浸しになった靴を脱ぎ、俺は部屋に上がった。
「入らないの? 」
一向に部屋に上がろうとしない彼女に声をかけると、彼女はすっと床を指差した。
「床、濡れちゃうから」
そう言う彼女の指先からは、滴がぽたぽたと落ちている。
それだけでなく、髪やスカートの裾からも滴が落ちていて、 玄関には水たまりができていた。
俺はため息を一つ吐いた。
「いいから、入って。何のためのフローリングだと思っているの」
彼女の手を引き、半ば強引に部屋へ上げる。
「あの右の扉がシャワールームだから、使って。あと、これ」
そう言って、手にしていたものを彼女に押し付け、俺は一人キッチンに向かった。

しばらくして、彼女がシャワールームから出てきた。
「どう? 体、あたたまった?」
「うん。ありがとう。あと、これも」
「どういたしまして。年頃の女の子に、ジャージなんかで申し訳ないけど」
俺が肩をすくめると、彼女はいつものように笑った。
「さて、キミは全身びしょ濡れになりながら、雨と戯れていたわけだけど、 どうしてそうなったのかな?」
ローテーブルを挟んで向かい側、コーヒーをすする彼女に僕は尋ねた。
「まさか、雨がキミに、遊んでほしいと言ったわけではないよね?」
「言われてはいないわね。でも、さびしそうだったから」
カップを両手で包むように持ったまま、彼女が答える。
「誰だって一人はさびしいでしょう? だけど、それを誰かに気付いてもらうのは難しいの」
「何故?」
「”一人”だから。自分以外、誰もいないんだもの」
「なるほど。だからキミが、自ら外に出て雨と戯れていた、と」
「そう」
短く返事をした後、彼女は視線をそらした。
「だけど、あなたには迷惑をかけてしまったわね」
その視線の先は、玄関から続く廊下に向けられていた。
「床、濡らしてしまったわ」
「言っただろう?何のためのフローリングだ、と」
「何のため?」
首をひねる彼女に、僕は笑った。
「キミが雨と戯れた後でも、気軽に上がれるようにするためだよ」